1958


空手同好会発足

部誌「凱風」第二号 中島章皓先生との対談より抜粋

さそわれるままに空手部へ

――
今度ちょっと用があって同窓会館の事務室へ行ったら、中島先生のお話がでたんですけど、そしたら事務の方は「あの先生が空手をやっているようにはとてもみえないけど」って、その「へェー」って感じだったんですが、先生はどうして空手をお始めになったんですか。
中島
こっち(お茶の水)に来てからね。カリキュラムとかなんだかとやってる時に、谷口君達がさそいにきたわけですよ。
それでボクはさそわれるままに行ったわけです。空手部に入って、とにかくその時にはじめて空手部ができたわけですよ。前に同好会形式のものがあったらしいのですが、これはもう白紙になってましてね。ですから、われわれがはじめて入って、先輩っていうのはないわけです。その時に教えてくれたのは、祝嶺先生と谷口君でした。
その当時ですね、一学年、歯学部は六十人、医学部は四十人。その時に、谷口君達が、勧誘したのは、二十人近くたっだ。百人のうちのだよ。
それで、医科歯科の屋上で始めたわけですよ。最初は面白くなかったね。やっぱし。(笑)
――
面白くなりだしたのはいつごろからですか。
中島
そうですね。まず最初は、受け答えっていうのがあるわけですね。突きと受けだけ。それがある程度できてきて、いわゆる型らしきもの、相対業技っていってね。その相対業技をはじめる頃からですね、ぼちぼち面白くなったっていうのは。三ヶ月ぐらい経ったら、いくらかこうやってやるのかなっていう感じはつかめてきました。
それですぐ、われわれは合宿なわけですよ。その当時、大渕先生に部長になっていただいて、霞ヶ浦をお願いしたわけですよ。それで先生が快くじゃあどうぞということで貸していただいたわけです。合宿に。

中略

半年で空手部に昇格

中島
ボクらね、合宿から同好会だったでしょう。ま、最大の目的は部になることですよ。その当時ね。部になるには、実績をつくって、同好会を結成してから何年後かに部に昇格するというのが普通なんですよ。ところが、ボクらはね、別に強引にやったわけではないけども、練習だとか何だとかは一生懸命やってたわけです。屋上ですからデモンストレーションがきいてるわけだよね。必ずね、お昼休みになれば、誰かが練習しているんだから、屋上で。そうすると、空手部はよくやっているということになる。
あの当時、一生懸命やっていたのにボート部があった。でもボート部には、長尾学長という強い後ろ盾があるわけよね。だけど、われわれはそんなことじゃあなくてね、練習で実績をつくってね。
これはもう谷口君はそういうふうにしてくれたんだろうけどね、もうその年の秋にわれわれは部になったんだ。
――
つくって半年でですか?
中島
そう半年で、今迄そういう部はないよ。しかも先輩はいないんです。われわれには。全然。今迄の実績というか、半年の実績だけ、しかも先輩がいなくて、半年で部になれたということは、大変なことなんだよね。

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